社会復帰編1「アラサー時代にウツで休職した結果リストラされた話」
漫画:アラサー引きこもり女が2.5次元で社会復帰した話
1「アラサー時代にウツで休職の結果リストラされた話」
今から10年ほど前、プル子さんがアラサーの時のお話です。
就職氷河期に社会の荒波へ。じわじわ疲弊した20代前半
氷河期の終わりに大学卒業
プル子さんが大学を卒業して社会に出たのは2005年。氷河期ど真ん中ではなかったのですが、友人10人中、新卒でまともな正社員就職ができたのは2人だけというまだまだ厳しい状況でした。特に女子学生に関しては就職セミナー等で「企業は実力関係なく女子を3割しか採りません」と講師が発言するような時代でした。
結局正社員での就職が決まらなかった私はアルバム制作会社のデザイン部門に契約社員として入社しましたが、2年後に在籍していた部署が消滅したのをきっかけに転職活動を始めます。半月ほどたった頃、非正規でしたがゲーム会社への就職が決まりました。
デザインとは関係ないデータベースの管理やマーケティングの資料作成という仕事内容でしたが、今まで触れてこなかったExcelやAccess等データベース関連のアプリケーションを一から勉強し、「頑張れば社員にしてあげる」という上司の言葉を信じ一生懸命働きました。
4人分の業務を丸投げされるも自分が認められてると勘違い
一か月で同時入社の同僚が退職し仕事量が2倍になりました。数か月後には先輩の1人も退職し複数のデータベース管理と資料作成を引き継ぎ、さらに異動する先輩2人の担当していた仕事やメルマガ作成等も担当することに。人員の補充はされずこの時点でフロアに4人分の仕事を引き継いだ私1人という状況になりました。
さらに上司の席や資料の提出先は別フロアだったため連絡は全てチャットを利用。PCのブゥーンという無機質な稼働音しかしない部屋で一言も言葉を発することのない日々がしばらく続きました。
明らかに異常すぎる状況でも退職しなかったのは、上司の「プル子さんにはどんどん新しい事を覚えてもらって、力になってほしい」という言葉に「自分は認められ、頼られているから頑張らなければならない」という勘違いをしていたからでした。
こうして私はウツになりました
じわじわと迫るウツの足音
入社から1年がたった頃、後輩2人が採用されある程度の業務を引き継ぐことができたのですが、下記のような症状に悩まされるようになりました。
- 鼻血が止まらない
- 突然視界がテレビの砂嵐のようになる
- 何も聞こえなくなる、または赤ん坊の声などの幻聴が聞こえる
- どんどん痩せて40㎏を切る
- 悲しくないのに涙が出る
心療内科を受診したところウツ病の診断を受け抗うつ剤や安定剤を処方されました。しかし薬の副作用で眠くなってしまい当時の仕事量をこなせない状態になってしまいます。
限界を感じ退職の旨を上司に伝えたところ休職をすすめられ、3か月ほど会社を休むことになりました。
私は会社に迷惑がかからないようにと担当業務の詳細なマニュアルを作成し、自分の持っている仕事のほとんどを後輩たちができるよう準備してから休職期間に入りました。
法の目をかいくぐる!休職した従業員のリストラ方法
休職前に人事担当との面談があり、「このまますんなり退職したほうがいいですよ」と釘を刺されました。しかし上司の「復職したらプル子さんにまかせたい仕事がたくさんある」という言葉を信じ、断固として復職したいという意思を示しました。
休職中は傷病手当を受給しながら上司や産業医との面談などの復職プログラムに取り組みました。眠くなってしまう薬も量を調節したり組み合わせを変えたり試行錯誤し、3か月後無事に復帰OKという診断書を医師からもらった私は気持ち新たに出社しました。
復職してほどなく上司から呼び出され、私は呑気に新しい仕事の話だと思って会議室へ行くとそこには満面の笑みの上司がいました。
あまりに上司の機嫌がよさそうなので、ひょっとして自分の社員登用など良い知らせがあるのかなと思った瞬間・・・
上司の表情と話の内容がかみ合わず呆然としてしまいました。休職直前に起こったリーマンショックの影響で私以外にも大量の従業員がリストラされていたことをその時初めて知りました。
私の場合は休職中に辞めさせると法律違反になってしまうので、ウツ回復という診断を受けて復職してから満を持してリストラを決行されたのです。
人事担当の「このまま退職したほうがいいですよ」という言葉が頭をよぎりました。こうなる事をわかっていたんだと思います。
しかも私の担当していた業務は休職前にしっかり後輩たちに引き継いだうえ、詳細なマニュアルを作ったため誰にでも引き継ぎが可能になったので、そもそも自分が会社にいる必要がなくなってしまったのです。
最初のウツとは比べ物にならない絶望のラスト3カ月
回復したはずのウツは前以上に悪化、退職日まで3か月ありましたが上司の笑顔がトラウマすぎて出社できない状態になり、さらに復職後に引き受けた仕事を完遂できず先輩たちにしわ寄せがいき職場でめちゃくちゃ嫌われてしまいました。
やっと家を出ることができても会社に行くのが恐ろしく、乗り換え駅のホームから飛び降りようという考えに囚われました。
しかしリーマンショックの影響でリストラや派遣切りが横行していた当時、いつも自分が乗り換え駅に到着する前に人身事故による運転見合わせがあったため、その都度正気にひきもどされた私はなんとか飛び降りを決行することなく退職することができました。
ウツひきこもりを招いた最大の要因
「努力は美徳」という呪い
どん底メンタルになってしまったプル子さんはやがて死ぬ気力どころか起き上がれないほど病状が悪化し自宅にひきこもる事になります。
当時は人生詰んだと思いましたが、結果全く動けなくなった事で衝動的に死を選ぶリスクが激減し最悪の事態を免れたので今では逆に良かったと思っています。
ここで改めて10年前の私がウツになった要因を挙げてみると・・・
- 職場で一言も言葉を発さない環境だった。
- 仕事の量が多いほど評価されていると勘違いしていた。
- 3年以内でやめるのは社会人失格だと思いこんでいた。
- 会社の従業員に対する建前と本音が理解できていなかった。
などなどいくつか挙げることができますが、特に事態の悪化に拍車をかけたのは
「頑張れば報われる」という考えを盲信して自分を客観視できず、上記に挙げたような要因に気づけなかった事です。
「努力は美徳」という呪いは特に我々アラフォー世代にとっては非常に根深いようで「職場で耐える前に辞める選択も考えてよい」と思えるようになったのはつい最近(2018年末くらい)になってのことです。
「努力」にもすべきものとしなくていいものがある事を認識し、仕事で違和感を感じた時には一度立ち止まって、いま自分が耐えていることはするべき努力なのか、この仕事を続けた結果自分に良い影響があるのどうかをようやく考えられるようになりました。
さて、当時はとにかく自分の努力不足がウツやひきこもりという事態を招いてしまったと思い込んでしまったプル子さん、その時に人生を変える「あるモノ」と出会う事になります。
次回「社会復帰編2」に続きます。
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昔BL漫画描いてたアラフォーエッセイ漫画家です。